このサイトについて

みなさん、こんにちは。ボン・ジョヴィ・ボナティクルズをご覧いただきありがとうございますm(_ _)m。このサイトは、海外で放送されたBJのTV番組を日本語訳にしてご紹介するコンテンツを中心としたボンジョヴィファンサイトです。ビデオテープを手に入れたけど言葉の壁のせいで十分に楽しめなかったという方や、海外の番組を観る機会なんてないというファンの方に楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。ディスコグラフィやバンドのバイオグラフィなどはありませんが、ここに載っているインタビューの数々がみなさまにとってBJをさらに深く理解する手助けとなり、今までよりもっとBJを大好きになっていただけたら、それこそが管理人の本望であり、このファンサイトの存在価値になると思います。

これからもいろいろな海外の番組を取り上げていきたいと思っているのでまたいらしてくださいね。ただ、海外に住んでいるわけではないのでなかなかビデオの入手が困難です。もし海外のBJ関連テレビ番組のビデオをお譲りしてくださる心優しい方がいらっしゃいましたら、Bonaまでご連絡いただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いしまーす。


著作権について:BJはプロモーション活動を支援するものとしてファンサイトを認可しており、プライバシーと見なされる写真以外の、BJのキャリア活動に関連した公式画像の使用を容認してくれています。ただし、このサイトのTranscriptのコーナーで使用している画像の著作権はそれぞれのテレビ局にあります。MP3などの音源の掲載は許可されておりません。

BJと私

長いので覚悟して読んでくださいまし。

年表

1983年〜1986年 83年BJデビュー 15才になるまで好きな歌手とかアイドルなどもおらず、小学校時代はとりあえず「たのきんだったらトシちゃんが好き」とか「シブガキ隊だったら強いて言えばフックンかな」とか言ってみる。でもレコード買ったりもぜず。もちろんBJの存在も知らず。でも「乳姉妹」は欠かさず見ていて、主題歌はバッチリ覚えて日本語で歌っていた。「風よ吹いてぇ〜、あ〜なたのもとへ〜」。一応これがBJとの出会いなのだろうか?唯一買ったレコードで覚えているのは荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」(笑)中学生の時買ったレコードは・・・今となってはなぜあんなものを買ってしまったのか?一生の不覚だか何を血迷ったのか吉幾三の「おら東京さいくだ」(爆)。まるでセンスのない中学生だったらしい。
1987年 BJ全米大ブレイク

15才。高校1年生。今まで洋楽なんぞにはこれっぽっちも興味がなかった私。それが高校に週一回来ていたアメリカ人だか、イギリス人だか忘れたが英会話教師が見せてくれたマドンナのプロモーションビデオとトップガンのビデオによって私の運命が大きく変わる。世の中にこんな格好いい音楽が、映像があったのネ!!!大、大、大、カルチャーショック!そんなこんなでアメリカン・カルチャーにどっぷりハマった私。小林克也さんのベスト・ヒットUSAを通 してMTVを見始めたのもこの頃。いわゆるアメリカンTOP40にのめり込む。ちなみに初めて買ったCDはベリンダ・カーライル。 吉幾三からずいぶん洗練?されたものだ。

そんなある日。友達が「弟がこれいいよって言ってたから聴いてみ〜」と言って一つのカセット・テープを渡してくれた。そこにはWILD IN THE STREETSという文字が。今思えばこのカセット・テープが本当のBJとの出会いだったわけですね。このテープがめちゃめちゃ気に入ったのだけど、歌っているグループがどんな容姿をしてるのかまったくもって不明。どんな人達なんだろ?と思いながらMTVを見ていると、なにやら長髪毛もくじゃらのワイルドな男達があのテープに入っている曲を歌っているではないか!『うわっ、す、すごいひとたち・・・で、でも、めちゃくちゃ格好いい!』サビの部分で誰もいないモノクロのライブ会場から観客いっぱいのカラー映像に切り替わる、このめちゃくちゃ格好良いビデオに全身鳥肌!(笑)これがLIVIN' ON A PRAYERのプロモとの出会いでありました。ビデオに録画してテープが擦り切れるほど何度も見る。そのたびに鳥肌(笑)。まさかまじめな高校生の少女がこんな長髪毛もくじゃらバンドにのめり込むとは・・・自分で自分が信じられませんでした。

この年の終わり、ベスト・ヒットUSAでは年間全米チャート第1位 がLIVIN' ON A PRAYER。第2位がホイットニー・ヒューストンの I WANNA DANCE WITH SOMEBODYだった(はず)。

1988年 BJ4枚目のアルバム、New Jersey発表

この年の夏、初めての海外旅行でロスに3週間のホームスティ。13才の男の子に「I LOVE BJ!」と言ったらものすごくイヤ〜な顔をされて「あんな長髪毛もくじゃらのどこがいいの?」みたいなことを言われる。ちなみに彼のアイドルはポーラ・アブドゥールだったが今は影も形もありません。ざまあみろ。(のちにBorn To Be My Babyが全米2位止まりになるのは彼女のせい)

ロスのモールで私の初めてのBJCDとなるSLIPPERY WHEN WETを購入。当然のことながらUS盤だったので、アートワークは黒いバックに水滴のやつ。歌詞の日本語訳がついていなかったので、何を歌っているかイマイチわからず。でも英語の音で歌詞を覚えて一緒に歌う日々。ある日車の中で歌っていると、母が「何歌ってるのかわかんないんでしょ?!」。私、「わかるもぉーん!Tommy whispers: Baby it's okay.ってのがあるでしょ。これはね、トミーがジーナに子供を産んでもいいよって言ってるんだよ」などと思いっきり見当違いな解釈を堂々と言ってのける。I'D DIE FOR YOUにいたっては、ロミオとジュリエットが火に包まれちゃうのだと思っていた(爆)

この年の秋。BJ、NEW JERSEY発表。もちろん即買い。今度は日本盤を買ったので歌詞の解釈間違いはとりあえずなし。自分の部屋のステレオコンポでさっそく聴いてみる。LAY YOUR HANDS ON MEのイントロに衝撃を受ける。すんごくヘビーでパワフル!勢いが増したな、と感じる。特にBORN TO BE MY BABYにはひと聴きボレ。自分の大好きなバンドが今回も自分の好みのサウンドを作ってくれた幸せをかみしめる。この頃、1stアルバムと2ndアルバムも購入。どっちも非常に気に入る。ますますBJにハマっていく。そんな中、暮れに来日決定!行くに決まってるでしょう!ってことで、チケット発売日。授業の合間の休み時間に公衆電話に走っては「ぴあ」の番号をジーコ、ジーコと回す。全然つながらず。チャイム鳴ってもねばってやっとチケットゲット。BJのライブに行ける!

大みそかのSANYO HEAT BEAT LIVEは忘れることができません。彼らの姿は米粒のようだったけど、初めての生BJ!初めてのロックのコンサート!初めての東京ドーム!一番後ろのスタンド席だったから全体の盛り上がりが見渡せて、LIVIN'のサビの大合唱の部分でパァっと会場全体が明るくなった時に見えた満員の東京ドームのうねりはものすごかった!!これまた全身鳥肌!ジョンとリッチーとアレックが端から端まで走り回る。頂点を極めたバンドのコンサートだった。ライブ終了後、タイコが出てきてマイケル富岡司会のもと、「蛍の光」を歌った時は会場のテンションが下がる。タイコのパフォーマンスにジョンとリッチーステージの端に越しかけながらちょっと居心地悪そう。ライブ終了後、タイコ叩いていたハッピ来たおじさんに話しかけられる。「まったくなんで大みそかにこんなところにかりだされるんだかなぁ?」などと文句言ってた。私にぐちられても・・・。

1989年 BJモスクワ公演。その後、燃え尽き症候群に この頃から伊藤政則さんのミュートマ・ワールドを見に学校帰りに横浜そごうのスタジオに通 い始める。この番組の影響で当時大全盛期だったハードロックバンドを次々と知ることに。Born To Be My Babyのプロモもこの番組で初めてみる。ムフフ。あいかわらず格好良い。正月の来日公演の様子が雑誌に載って、ジョンとドロセアが新幹線の中で寄り添って眠っている写 真を見た時に、その絆の強さを実感。さらに4月にジョンが結婚した時は心砕かれる。「あああ・・・とうとう・・・!」。ううう!でも、おめでとう、ジョン!
1990年 ジョン、YOUNG GUNS IIにサントラ提供

高校を卒業して、アメリカの大学に留学すべく英語の専門学校に通 う。環境が変わったりしたこともあってしばらくBJを聴かない日々が続く。そんな時、BJ解散の噂がチラホラと耳に入り始める。あんなに仲がよかったジョンとリッチーが仲たがいなんて、にわかに信じられず。嘘だぁ、BJに限って。嘘だよね?うぞだどいっでぐでー!!!

そんな中、ジョンがソロ活動開始。BLAZE OF GLORYのプロモを友達の家で見る。その曲の土臭さ、プロモビデオの格好良さにこれまた惚れ直す。でもプロモで一人遠く地平線を見つめるジョンはどこか寂しげに見えた。そう見えてしまったのはたぶん解散の噂のせい?

この年の暮れ、活動停止中だったはずのBJがなんと東京ドームでまたカウントダウン・ライブをやることに!ちょっとハラハラしながらも、久しぶりのBJライブにワクワク。1曲目のTOKYO ROADに大感激!!!ショウはこれまた最高だった!少なくともスタンド席からは仲が悪いそぶりなんて全然気づかず。

1991年 ジョンいわく灰色の夏

大みそかのライブがとっても良かったので、急遽1月2日の横アリ公演に行くことに。この公演で観客とバンドの意思の疎通 がうまくいかず、LET IT ROCKの演奏を中断して掛け合いをやり直しさせられるというハプニング発生(苦笑)どうやらジョンは自分達が「Let It Rock! Let It Go!」と言って、オーディエンスにはその後の「You can stop the fire burning out of control」のパートを歌わせたかったらしい。ジョン・・・それは過酷な注文よ。反対だったらよかったかもねぇ。やり直しはうまく行かず、「Let It Rock! Let It Go!」と振られた後にあいかわらず同じように「Let It Rock!」とくり返してしまう私達。結局ジョンあきらめる(笑)そして「次のアルバムに入れようと思っている曲なんだ」と言ってDIAMOND RINGを初披露。次のアルバム、という言葉にBJ存続を確信したファンは大歓声。さらに「来年出す予定だよ」という言葉に91年になったばかりだったその時はあと一年待つのか、ととっても待ちどおしく感じた。

ただ、その後、セーソクさんが番組の中で、「楽屋は相当ヤバイ雰囲気だった」と言っていて、またちょっと不安になる。実際ホントにヤバかったらしく、このライブの後、再びバラバラに。ジョンはひたすら飲んだくれて一時は自殺まで考える程追い詰められていたらしい。

1992年 BJ、5枚目のアルバム、KEEP THE FAITH発表

私はというと、BJの活動がなかった約1年半の間に完璧にBJから離れてしまう。この年の夏にオハイオ州にある大学の2年生に編入。環境の激変、アメリカ生活に馴染むのに必死で、はっきりいってBJどころではない。どころではなかったけど、ある日スーパーでACCESS ALL AREASを発見。久しぶりにBJを見てなつかしささえ覚える。でもなんせアメリカ来てまだ数ヶ月。字幕がないのは痛かった。

再起したBJは秋に待望の新作KEEP THE FAITHをリリースして精力的にプロモーション活動をしていたらしいが、ハッキリ言って全然知らなかった!プロモ来日してた事も知らず。ラジオから流れてくるのはニルヴァーナなどのグランジロックか、ホイットニーのI WILL ALWAYS LOVE YOUばかり。アメリカにいながらBJ情報はまったく耳に入らず。まぁ、寮の部屋にはケーブルテレビも引かれてなかったからねぇ。

1993年

BJ、KEEP THE FAITH TOUR

この年の冬、友だちに付き合って電気店にたちよって、そこのテレビで初めてKEEP THE FAITHのプロモビデオを目撃。天地がひっくりかえるほどびっくりする。だって、ジョンの髪が!!あまりの変わり様に小さなテレビモニターを目をこらして見る。BJ?これがあのBJ?と何度も確かめる。でも声は確かにジョンの声。洗練されて格好良くなったけど、髪を切り、長いコートを脱ぎ捨てたジョンには昔の面 影皆無。まったく別のバンドになってしまったみたい!

それからまたしばらくBJを忘れた日々が続いていたのだか、ある日スーパーでKEEP THE FAITH のCDを発見。買おうかどうしようか迷う。昔の面影がないBJ。もし音楽的にもそうだったらどうしよう・・・。1日考えてやっぱり買うことに。Kマートに言ったらジャケットにキズがついていたので、向かいのウォルマートで買う。寮の部屋に帰ってヘボいCDプレーヤーで聴いてみる。まず、I BELIEVEでびっくり!同じ1曲目でもLAY YOUR HANDS ON MEとは偉い違い。ずいぶんモダンなサウンドになったものだ。次にKEEP THE FAITH。へー、社会的な歌も歌うようになったんだー。そして4曲目のIN THESE ARMS。・・・これぞBON JOVIだ!!!やっぱりCD買ってよかったと思った。Dry Countyの歌詞に感動。洗練されながらも土臭さ健在で嬉しい。 KEEP THE FAITH TOURのために来日したことは知らず。もっと言うとジョンに子供が生まれたこともまったく知らず。(ほんとにファンかい!)

1994年 BJ、ベストアルバム、CROSS ROAD発表

アメリカ生活にも慣れてちょっと余裕が出てきたこの頃、学食の大スクリーンでMTVだかVH-1だかがやっていて、ALWAYSのプロモビデオを初めて見る。(この時はバンド・オンリー・バージョンだった。結構貴重な体験だったのね)本当に、本当に久しぶりにBJを見た。久しぶりに見るジョンのセクシーな姿に顔がほころぶ。へー、また髪型変わったのねー。ALWAYSはどうやらヒットしているらしく、ラジオでもしょっちゅうかかる。かなり長い間かかっていた気がする。アメリカでは本当に久しぶりのヒットではないだろうか。嬉しいねぇ。

1995年 BJ、THESE DAYS 発表

春休みにニューヨークへ一人旅。マンハッタンのホリディ・イン・クラウン・プラザの部屋でバスタブに浸かっていると、ラジオからなじみのある歌声が。でも曲は初めて聴く曲だ。「え?これってもしかしてBJの新曲?」これがSOMEDAY I'LL BE SATURDAY NIGHTだった。いつか土曜の夜になるってどういう意味?友達に聞いても「さぁ?」アメリカ生活3年目に突入したというのに、英語にはまだまだ私の理解不能な表現があるのねぇ、などと思う。歌詞をよく聴けよ(笑)

激安CDショップ、BEST BUYでCROSS ROAD発見。すでに持っている曲がほとんどだったのでかなり迷うが、Prayer '94と新曲2曲入りだったので買うことに。この時、KEEP THE FAITH THE VIDEOS、AN EVENING WITH BJ、そしてCROSS ROAD THE VIDEOSも見つけて即買い。特にKEEP THE FAITH THE VIDEOSがめちゃくちゃ気に入ってハマりまくり。毎日1回は見ないと禁断症状が!そんな日々が数週間続く。

95年5月、大学卒業。6月、日本に帰国。5月にBJが来日公演をしていたことは知らず。もっと言うと前年リッチーがヘザーと結婚していたこともまったく知らず。(ほんとにファンかい!)帰国してすぐTHESE DAYS購入。1曲目、「・・・うーん」。2曲目「・・・ううーん」。3曲目「うん、うん」。4曲目「・・・なるほど」。きゃ〜みなさん怒んないでぇー。でもこれが正直な感想だったの。セーソクさんが「Keep The Faithアルバム、どう?」って聞かれて「・・・んんんんん!いいよね!」って一瞬答えにつまったという感じと似てるかも。この「んんん!」の時にいろいろなことがグルグルと走馬灯のように頭の中をかけめぐるというか(笑)結果 的に言えばこのアルバムは「するめ」でした。最初はピンとこなかったけど、聴けば聴くほど味が出る。 ただ、この頃の私の精神状態があまり良くなく、加えてこのアルバム自体がちょっとダークだったため暗さが増してしまい、あまり楽しんで聴けず。数回聴いただけでしばらく聴かなかった。今はTHESE DAYSとか、MY GUITAR LIES BLEEDING IN MY ARMSとか結構好きだけど、でもやっぱりこのアルバムを聴くと自動的にその頃の自分のシケた気分がよみがえってきてしまうので、あまり好んでは聴かないかな。いつか素直に楽しんで聴ける日が来るといいのだけど。

1996年 BJ、THESE DAYS TOUR

この年の5月、横浜スタジアムでBJと6年ぶりのご対面!ジョンの姿を見た時は感無量 !ずいぶんお久しぶりでしたわねぇ。前回あなたと会ったのは、まだあなたの髪が長いとき。あれからお互いいろいろありましたわね。お元気そうでなにより、うう・・・そして横に目をやると・・・え!リッチーどうしちゃったの!まぁ、そんなに肥えちゃって!(爆)・・・アレックに再会できなかったのがちょっと寂しかった。私のお気に入りI'D DIE FOR YOUとIN THESE ARMSのアコギバージョンに感激!この時はヒドイ風邪を引いていて「でもはってでも行くぞ!」と意気込んで乗り込んだわけだけど、ノドをやられていてあまり一緒に歌えず。久しぶりにジョンと一緒に歌いたかったよー!

というわけで1日目にライブに行って、2日目にWOWWOWで生放送を食い入るように観る。なんてったって、これが観たいがためにわざわざWOWWOWに加入したんだもんネ!3日目も本当は行きたかったのだけど、一人で行くのはちょっとなぁ、と思いやめてしまった。後で3時間ライブだったことを知り「あああ〜一人でも行くべきだったー!」と後悔の嵐。 WILD IS THE WINDをライブで聴いてみたかった。

1997年 ジョン、DESTINATION ANYWHERE発表

ジョンの初めての映画、「MOONLIGHT & THE VALENTINO」日本公開。あんなに「役者になる気なんてない!脚本送ってくるな!」なんて言ってたのに、人ってのは10年後に何してるかわかったもんじゃないですねぇ(笑)で、恵比寿ガーデンプレイスに観に行ってみる。おおお〜、スクリーンいっぱいにジョンの顔!ニヤニヤが止まらないじゃないの!おおお〜、セリフ言ってるよ!(笑)大根ではない。大根ではないんだけども、演技してるジョン、セリフ言ってるジョンに違和感の嵐(笑)ジョンがピザとコーラを飲み食いする姿に感動。だって、いままで歌っているジョンは見たことあっても、食べもの食べてる姿とか見たことなかったもんね。ジョンも普通 に食べるのねー。あたりまえ。ラブシーンに釘付け。へー、ジョンはこんなふうにキスするのかぁー。ほとんど観察魔と化す。

仕事が忙しかったりして、またしばらくBJから離れていたのだが、ある日新星堂でジョンのソロ・アルバムDESTINATION ANYWHEREを見つける。BJとしてのジョンが好きなのだけど、ジョンが一人で作った曲を聴いてみたい。というわけで買って早速聴いてみる。「・・・・・」。BJのサウンドとのあまりの違いにがく然とする。そこにはヘビィでパワフルなメタル系サウンドなど1曲もなく、ほとんどすべてがミドルテンポ。BJ独特の重厚でパンチの利いたコーラスも影を潜めているではないか。 どちらかというと勢いのあるロックが好みの私としてはなんだかちょっと物足りず。1回聴いただけでお蔵入りとなってしまった。大好きなジョンの曲が好きになれなかった自分が悲しい。ジョンは今、こういう曲を好んで書くのか。これからこういう方向で進んでいくのか。THESE DAYSの頃から薄々感づいてはいたけど、認めたくなかった。「ジョンの作ったものなら何だって好き!」そんなふうに思えればこんな寂しい気持ちにならずに済んだのだろうけど、心は正直だ。「好きなバンドは?」「BON JOVI!」いつだって間髪入れずにこう答えてきた。だけど・・・これからもそう答えていけるのだろうか・・・?昔の曲だけを目当てにコンサートに行くようになってしまうのか?心にポッカリと穴が空く。リッチーがジョンのソロを聴いて、そのあまりのサウンドの変化に「これから一緒に、同じ方向性を持って曲作りができるかわからない」と不安になったそうだけど、私でこれだけ動揺したんだから、リッチーの動揺はどれほどのものであっただろうか。ジョンにしてみれば、BJではできない曲づくりに挑戦してみたかったのだろうけど。

それでもジョンに会いたくて、恵比寿ガーデンプレイスのプレミアのチケット目当てに上司の目を盗んでJ-WAVEにFAXを送る。2日ねばったけど当たらず。ちなみに七夕ライブのことは知らなかった。この頃は気持ちが後ろ向きだったのか、東京ドームのカウントダウンライブのことをしきりに思い出す。あれは遠い、遠い、大昔の出来事。そんなふうに感じる日々。

1998年〜99年 BJ活動停止期間

あいかわらず忙しい日々に追われて音楽全般を聴くことがなくなってしまったこの時期。高校生の頃、毎日のようにフル稼働していた私の部屋のステレオコンポから音が鳴る日がなくなってしまう。たま〜にCDを買ってきても1回聴くか、聴かないか。もちろん昔のBJのアルバムも全然聴かない日々が続く。 今までは例えBJから離れた時期があっても他の洋楽や、J-POPやら何やらと何か聴いていたのに、音楽を楽しむことをしなくなってしまった。こんなことは初めて。会社ではいつもJ-WAVEから音楽がひっきりなしに流れていたけど、すべて耳を素通 り。 でも一番問題なのはそんな自分の変化に自分自身が気づいていなかったこと。何かが足りないことには気づいていながら、それが何なのか全然わからず。日々の生活もそれなりに充実しているはずなのに、この満たされない気持ちは一体何なのだろうか。でもそれが何なのか深く考えようともせず、生きているのではなく、健康な体に生かされている、そんな受け身の日々を送る。

会社ではあいかわらずJ-WAVEが流れている。でも私の心には音楽が届かない。そんなふうに私の世界に音楽のない生活がいつのまにか当たり前になっていた。それがどんなに味気ないものだったのか気づくのは、さらに1年後だ。

2000年 BJ、CRUSH発表

ある日、いつものように仕事をしていると、J-WAVEからパンチの聴いたサウンドと、重厚なコーラスが耳に飛び込んでくる。!!!!!セーソクさんじゃないけど、サビの部分で電撃が!!(笑)曲は初めて聴くけど、すぐにBJとわかる。だって、だって、わかるよ、あの曲なら!BJが・・・BJが・・・戻ってきた・・・!私の好きだったBJが!(むせび泣き)IT'S MY LIFEは5人がそろってはじめて生まれる魔法、ジョンがいうところのケミストリーが存分に発揮されている曲だと思う。歌詞もポジティブで最高だ。こういう曲に飢えていたのよ!ああ、やっぱりBJが好きだ。5人が作り出すサウンドが好きだ。どれか一つ欠けただけでも化学反応は起こらない。次の瞬間、Yahoo! Japanで「BON JOVI」もしくは「ボン・ジョヴィ」で検索。私の日常に音楽が戻ってきた瞬間だった。

それからというもの、今までの分を取り戻すかのごとく、BJ情報収集に精を出す。そしてCRUSH発売日。10年以上ファンだったのに、アルバム発売日当日に買ったのはひょっとしてこれが初めてではないだろうか。アルバムの曲ではIT'S MY LIFEと、TWO STORY TOWN、そしてなんといってもONE WILD NIGHTをめちゃくちゃ気に入る。

2000年に2度も来日してくれることに大感激。こんなにワクワクした気分は本当に久しぶり。正直言って、この歳になっても高校生の時と同じ気持ちでBJに熱狂できるとは思ってなかった。でも高校生の時の熱い気持ちを忘れずにいる自分がちょっと嬉しい。全盛期にHEAT BEAT LIVEをやったこの同じ場所、東京ドームで12年後ふたたびBJが見れるなんて、5万人のファンと一緒に歌えるなんて、ああなんてありがたいのかしら!88年のあの時は2000年のライブなんて、2000年のBJなんて、2000年の私なんて想像もできなかったよ。でも今、現実としてここにこうしているんだね。

東京ドーム公演の後、MUSIC STATIONで久しぶりにアップのBJをまじまじと見る。さすがに「老けたナァー」と感じる。目じりのシワとか口元のシワとか、ピチピチだった顔のたるみとかが嫌でも目につくが、それがシブさを増していて、やっぱり格好良さは健在。貫録まで備わってきたよーな気がするのはひいき目かしら。・・・こんなに「ある人間」の歳月の変化(いや、成長というべきか)を見つめてきたことはないような気がする。悪ガキ集団だったBJ、ダサかったBJ、おちゃめなBJ、洗練されたBJ、格好良いBJ、セクシーなBJ、シブいBJ、貫録漂うBJ、いろーんなBJを思い出して、今目の前にあるこのちょっとシワが目立ってきた5つの顔を心底愛おしく思う。

2001年 BJ、ONE WILD NIGHT TOUR

Webを通してたくさんのBJファンの方々と出会う。今まで私と同じくらいのテンションでBJを愛してくれる人がそばにいなかったのでとても嬉しい。HPを作ったらもっと交流が深まるんではないかしら?と思いつき、Bon Jovi Bonarticlesを開設。この頃、インターネットのおかげでたくさんのBJ情報、特に海外からのBJ情報が手に入りやすくなったのだけど、言葉の壁もあってなかなかその全部が日本のファンのもとには届かないことに悔しさを感じるようになる。特にアメリカはまるまる1時間BJ番組なんてのもザラなのに、日本では放映されないどころか、その内容さえ届かない。届かないのなら届けてみせようホトトギス!というわけで、私のHPは海外のBJ番組の紹介をメインコンテンツに持ってくることに決定。

2001年のライブもどれも本当に最高だった!ONE WILD NIGHT、IT'S MY LIFEはもちろんのこと、17年経ってもちっとも色あせないオリジナルバージョンのRUNAWAY、そして10年ぶりに生で聴くBORN TO BE MY BABYとI'LL BE THERE FOR YOUに大感激。加えてWILD IS THE WIND、IN THESE ARMS、ALWAYSまでやってくれるではないか!嬉しすぎて狂乱状態(笑)。古い曲と新しい曲がいい感じで選曲されていて言うことなしのライブであった。

熱狂のBJ DAYSは留まることを知らず。ついに海外公演を見に行くことまで考え始める。それもBJの地元NJはジャイアンツ・スタジアム!というわけでファン歴14年目にしてとうとう海外ライブデビュー!7万人のファンを熱狂させるBJの底力をまざまざと見せつけられる。10年ぶりに飛び入り演奏したアレックの姿に号泣!そして、海外ライブを見て、BJと日本の絆の深さを再認識。外側から見てみないと気づかないこともあることに気づく。(以下、そのライブの詳細はライブレポートを読んでね)ああ、なぜもっと早く海外ライブに目覚めなかったのか!「海外はもうライブ観賞圏外ではない」その思いを強く胸に抱いたのであった。

2002年 BJ、BOUNCE発表

GSからちょうど一年が過ぎた7月、待望のニューアルバムからのファーストシングル「Everyday」の音源が、音源解禁より1週間前に海外サイトから流出事件発生!ファンの大多数がこの音源でEveryday初体験(笑)わお〜エッジが効いたアップテンポで嬉しい!その後セーソクさんのラジオ番組、Power Rock Today (以下PRT)でBOUNCE、HOOK ME UP、ALL ABOUT LOVIN' YOUを初めて聴く。BOUNCEは一聴きボレ!2、3度コーラスを繰り返し聴けば後半はもう一緒に歌えるキャッチーさ。そうそう、これだよ!これこそBJサウンド!!!HOOK ME UPの出だしのヘヴィなサウンドにはビックリ。最近の若手バンドの影響?こういうヘヴィさもクールでかなり気に入る。バラードはいつもどおりのBJバラードであまり印象はなかったけどいいんじゃないでしょか。8月、BOUNCE発売。UNDIVIDED、すんごくいい〜〜〜〜!!!全体的にCRUSHより気に入った!

9月、BJプロモーション来日。ここでなんと前代未聞2000人規模のクラブ・ギグを発表(地方各地では衛星生中継)!しかも完全招待制だというでないの!そんなーーーなんとしても行きたい!ラジオ、テレビ、雑誌、ウェブ、考えられるありとあらゆる方法を駆使して応募、3日間早朝5時起きでラジオにかじりつくこともあれば、J-WAVEなんぞは招待券をえさに日曜日、1時間ごとにBJイントロドン!クイズなんぞやりおって、しかもゲリラ的にいつやるかわからないおかげで丸一日食いっぱぐれたなんてことも。そんなこんなで泣かされましたが、なんとか待望のチケットをゲット!(涙)そして9月11日、同時多発テロから1周年のその日、BJは日本のファンと共にZepp Tokyoにいた。脱水症状が出るほど汗びっしょりになるまでBJと一緒に新曲を熱唱。幸運にもチケットをゲットしたみんなが、その日発売のアルバムの歌詞をすでに暗記していた。後日訪れたイギリスでもクラブ・ギグをやったBJ、でも無料コンサートは日本のみだった。愛よ、愛!

11月、BJのプロモーション活動を支援する公式サイト、Team Bon Joviから「ベスト・インターナショナル・ファンサイト」に選ばれる。うう、嬉しい!2年間ただただBJを愛する気持ちだけでやってきたことが認められたのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。これからもずっとずっと応援していくからね!

2003年 BJ、BOUNCE TOUR

1月、なんとプロモ来日から4ヶ月しか経っていないのにもう来日公演!しかも洋楽アーティスト初の5大ドーム(+横アリ)ツアー。実質的には今回も日本がワールド・ツアーの最初。でもこの来日公演は今までのものとは違っていた。なんと、10億円もする本場のステージセットを数千万円かけて日本に持ってきたのだ!予算は度外視しても日本のファンに本場のセットを見せたかったんだって(感涙)愛よ、愛!この公演はファンの力がBJを動かした。日本で特に人気のある曲、In These Armsのリクエストの垂れ幕署名運動のかいあって、4日目の福岡でセットリストにIn These Armsが加わる。イントロの大歓声は一生忘れないだろう。横アリでは何度もライブに足を運んでくれるリピーターのために何かスペシャルなことを、というBJの要望でアコースティック・ライブが実現。しかもこの模様は世界中でDVD化決定。最終の名古屋公演でジョンは「20年間のジャパン・ツアーの中で今回が一番楽しかった」と発言。BJと日本のファンとの強い絆を改めて感じた忘れられない来日公演となった。

4月、思いきって仕事の合間をぬってLA公演へ!そして8月にはまたしても聖地、ジャイアンツ・スタジアムへ!BJの歴史はまだまだ続くのだ。そして私たちファンもその後をぴったりついていくからね。ここまで見てきたんだから、もうこうなったら最後まで見とどけるよ。もう二度と離れたりしないよ。BJに恥ずかしくないように、IT'S MY LIFEを堂々と歌えるように、私も自分の人生頑張って生きるから、いつでもその先に輝く存在でいてね。BJサイコー!You are the best!!!